会社にいけなくなった話

なぜ私は組織に合わなかったのか – 会社に行けなくなった話

なぜ私は組織に合わなかったのか

長期間にわたる1対1体制と上司交代

10年以上、私の部署は上司と私の1対1の職場。
上司は1年おきに入れ替わり、そのたびに出世していった。
最後の上司はわがまま炸裂パワハラ上司。

「ええ人やから」で処理されていた管理職評価

最後の上司は、いわゆる行き場を失った管理職だった。
誰もが「扱いづらい」と認める人物と、私は4年間一緒に働いた。その上司は面倒見もよく、人情もあった。周囲の人たちは口を揃えて言った。

「ええ人やから」

問題だったのは性格ではなく、「線引き」が長期間にわたって機能していなかったこと。
面倒見がいいことは別。この職場では、その区別が最後までなされなかった。

媚びる集団と役割の固定化

上司に逆らう人はいなかった。むしろ、持ち上げる一方。誰にも愚痴を言えないまま、私は上司の世話や教育係まで任されるようになった。
当時の私は、それを「特別扱いされている」と考えることで自分を保っていた。誰からも共感されなかったから。
自分たちの立場を守ることだけで精一杯な集団が組織なのだとしたら、私は最初からついていけていなかったのだと思う。
今振り返ると、私はうまく使われていたのかもしれない。周囲はそれぞれ、自分の立場を守ることで精一杯。

思っていることを口に出せば、自分の身に返ってくる。そんな自己防衛社会だけは終息しない会社だった。

なぜ私は耐え続けたのか

それでも私は、その環境に居続けた。
辞めるという選択肢がなかったわけではない。ただ、簡単に切り捨てられるほど、状況は単純ではなかった。
業務は属人化。私が抜ければ回らない仕事になってしまい、それを分かっていて引き受けていた。
責任感というより習慣に近かった。気づけば、それが当たり前になっていた。

休職した今、改めて思う。
「目の上のたんこぶ」を制御するための長期間における茶番だったと。

「ええ人やから」

問題が表に出そうになるたび、周囲は同じ言葉を使った。
「ええ人やから」
それは、お気に入り評価を獲得した方々の言葉であって、仕事の在り方とは別。
誰も修正しない。
「ええ人やから」は、問題を見ないための免罪符。

立場が変われば関係が終わるという前提

上司が異動すると、周囲は何事もなかったかのように切り替えた。
あれだけ媚びていた人たちにも見放されていた。正直、ゾッとした。
でもそれは、特別なことではなかった。組織では、立場が変われば関係も終わる。そうやって切り替えることが当たり前なので。

私はただの役割だった

私は居場所を失った。
人と人の関係だと思っていたものが、実際は役割と立場でしかなかったこと。そこに感情を持ち込んでいたのは、私だけだったのかもしれない。
組織に合わなかった理由は、能力や努力の問題ではない。人を人として見続けようとしたことが、ここでは噛み合わなかった。

合わない場所で感じる違和感は、その人の欠陥ではないと思う。

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